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リョウ

Author:リョウ
性別:男(28)
出身:岩手県盛岡市
2014年5月25日に日本を出発し世界一周中。
カナダでのワーホリを終えて、現在50カ国目のアメリカ!

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ヤバいモノをいただきました

DSC_3820

どーも!


空がようやく青色を見せてくれました。


一時的ですが。


最近くもり続きだったので、嬉しいです♬


しかし、ここは都会だ。


高層ビルがニョッキニョキ立ってるし、

DSC_3815
(絵に描いたようなビル。って空曇っているやん!)


もの凄い勢いでトラムが走りまくってます。


山手線みたい。


色は赤と黄色、レトロだな。


DSC_3812
(この車両は"23番"。動き回るには結構乗り継ぎが必要です)

ここはクラクフではありません。


バスに乗って首都ワルシャワにやって来ました。
(ポーランドのバス会社は
ポルスキーバス、クラクフーワルシャワ間は1200円くらいでした)


カウントするのわすれてましたが


ポーランドは21カ国目です。


スクリーンショット 2014-10-28 7.15.13
(ポンポン移動しますが、ヨーロッパは国がありすぎるんで「1つの国」とみています。移動費がやばい)


ワルシャワに来た理由はたった1つ。



ポーランドと言えば!です。



覚えていますかね、あの男のことを。



イランで一緒にヒッチハイクしたノッポさん。



温かいシャワーより、冷たいシャワーが好み。



シャワーを浴びる際はいちいち「あ〜はあ〜」などと奇声を上げる。



歩くのは劇的に早い。


競歩の選手になってほしい。切実に。



そう


マティッーーーーーク!!(登場記事はこちら


DSC_9418

ああ!


これはトマトメーンの写真だった。


間違えました。


彼はトマトが好きです。


DSC_9436

この人はスイカのフレッシュジュース大好きです。

DSC_9220

彼はいつでも真剣。


僕はそんな彼が意外と大好きです。


一緒にいて面白いので。


ワルシャワ在住の彼と、中心部で待ち合わせ。



1カ月半ぶりの再会。胸が弾みます。


いました!


あれ!?


髪型。


いきなり笑わせてくれるな。


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ぴょこんと立ってるーーー!!前だけ。


フードが際立たせる。


この凝視も変わってないな。


っていうかフード脱いでよ。
DSC_3841


おもしろ!



でもその直後


僕自身も他の人の髪型を笑える立場じゃないことに気付きましたけど!



久しぶり!!


DSC_3819


待ち合わせ場所には髪を短くして爽やかになったマティックと


彼の友人がいました。


友人の名前はカイ(23)。大学生です。


とりあえず、つもる話もあるんで飲みいきましょ。

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マティックオススメのバーに連れて行ってもらいました。


「入れよ。リョウ」


「はい。。」


ほんのちょっとだけ、かっこいいな。


マティック。ほんのちょっとだけね。

DSC_3831

ポーランドのビールも美味しい。


店で飲むと高いんだけど、こういう時は使います。

DSC_3835

いろいろな話をしましたが


一番印象的だったのは"恋"


この2人は恋人と別れたばかりだったのです。


特にマティックはイランに来る直前の


失恋ショックが激しいらしく



頭を抱えていました。


大学院生の彼は、同じ研究室に"元カノ"がいるらしく


「毎日、顔を合わせなきゃならないんだよ!!」


と嘆いてました。日本と全く変わらないな。


オーストリアのウオルフとのギャップがすごい。


カイも別れたばかりみたい。


なんだか寂しい集まりみたいになってますが


盛り上がりまくってましたからね!


そんな彼に、


これまでの旅行の経過のついでに


わらしべ長者の話をしてみました。

企画わらしべ長者とは 日本から5円玉を持って出発。先々の国で物々交換して最後の国までに何に変わっているかを楽しみます。
これまで12回実施。経過は以下の通り。
日本・5円玉→①フィリピン・コインケース→②台湾・お守り→③香港、マカオ・ライター→④タイ・ブッダの置物→⑤ラオス・手織り布→⑥カンボジア・スカーフ→⑦インド・ヒンドゥー教関連の置物→⑧ネパール・ブッダの目のマグネット→⑨イラン風のポッド置物
→そして紛失→⑩トルコのスプーン→⑪クロアチアのロザリオ
→⑫イタリアアジアゴの笛→⑬???



すると

「これでどうだ?」


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(持っているのはカイですが、持ち主はマティックです)

いや。。


それあなたのズボンじゃないですか。


誰が交換するんですか、この後。


苦笑いしていると


「あしたまで待ってろ!用意する」


話はすぐにまとまりました。


さすが、かっこいいぞ。マティック。


何を持ってくるのか、ちょっと怖いけど


ヤルときはヤル男。


期待して、その日は宿に戻りました。


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帰り道、旧市街を歩きました。


ここワルシャワは第二次世界大戦で本当に大きな被害を受けた街。


なんと旧市街の8割の建物がドイツ軍の爆撃で破壊されたんです。

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そのあと住民らの手でほぼ復旧したそうです。


レンガのヒビまで再現したんだとか。すごい!


しかし


ドイツとソ連に挟まれたポーランド。


本当に悲惨な歴史を持っていますね。


たまたま、マティックにアウシュビッツに行ったことを話した時に


第二次世界大戦の話になりました。


ワルシャワ市民はやはり
ドイツをうらんでいるのか?


そう思いましたが


「ポーランド人はドイツより、ソ連と仲が悪い」


という認識を話してました。


彼個人の意見ではありますが


戦時中ワルシャワ市民がソ連軍の呼びかけで


ドイツ軍に反旗を翻したワルシャワ蜂起


その際にソ連軍が"裏切った"ことなどが関係しているのかもしれません。

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復元された街は本当にきれいです。


レトロな雰囲気。


落ち着きます。

DSC_4082


そんな感じで夜は明けて。


いよいよ交換の日!


まずはマティックと再合流。


一緒にポーランド料理を食べに行き

DSC_4002
(くせがあるけど、美味しいポーランド料理)

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(なんか、かっこいいな。マティック)


そしてやはり、バーへ。

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「ブツは持ってきたぞ」


「楽しみだ」


「これは、俺がお爺さんからもらったものだ」

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「そんな思い出にあふれているもの、もらっていいの?」


「いいんだ。プレゼントだ。大事にしろよ。そしてこの笛もらう」


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(さっそく、ぴゅーぴゅー音を鳴らして楽しそうなマティック)


そんな彼が用意してくれた粋なモノとは?





チェーーーーーンジです!
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アジアゴの笛









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DSC_4022

マティック家の絵になりました。




やべ〜〜〜〜


5円玉が"絵"まできました。


しかも


マティックのお爺さんの友人の画家が描いた絵らしい。


それをマティックが譲り受けて、僕にくれるっていう。


いいの?これ?


交換しちゃうけど。何になるか分からないけど。


そして、これ


デカい!!

DSC_4039
(マティック!)

バックパックに入れるのが


めっちゃ大変です。


しかも、絵が頻繁に額からとれる。


慎重にあつかいます。


いろんな意味で


これまでで一番ヤバいモノをもらいました。


さらば、マティック!


次は日本に来てね。

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(左はマティックの親友オーイさん。紹介してもらいました。彼女ではなく幼なじみなんだって。次は幸せな話、待ってます)

最後まで読んでいただき

大変ありがとうございまーす☆

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アウシュビッツ収容所

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第二次世界大戦中、ヒトラーのナチスドイツがユダヤ人を連れてきて


大虐殺を行ったとされる
アウシュビッツ強制収容所


人類史上最大級の惨事がおきた場所として世界遺産にも登録されている


同収容所は
「アンネの日記」をはじめとして


数々の映画や本で描かれ世界史の授業でも扱うため、
かなり有名です。


ただ、恥ずかしながら僕はあまりこの施設のことを知らなかった。


関連映画を何本か見たことはあったけど。。



ものすごく大雑把に言えば、


今回の投稿の"最初の2行部分"だけと言ってもいいくらい。


だから


ヨーロッパに行くのなら、


現在博物館となっているこの施設は寄りたかった場所の1つだし


寄った方がいい場所と思ってました。


でも、実際に足を運んでみて考えを改めました。


施設とその展示物が語る歴史は、すべて想像を絶するものばかり。


言葉にならない。


「むごい」とか「悲しい」とかそんな言葉では言い表せない。


寄らなければならない場所でした。




今回は見たことだけではなく


ネットや本で調べたことも簡単に書きます。


真面目なトーンで。


本の情報が主ですが


ネットからひろった部分もあり誤りがあるかもしれません。


ご了承ください。
(あと、有名な中谷さんにガイドを頼もうとしたんですが予約がいっぱいで断念。そのため予習が必須でした。。早めの予約を!→ホームページ



博物館は旧都クラクフから西側に約50キロ


オシフィエンチム市郊外にあります。


スクリーンショット 2014-10-27 10.07.01


アウシュビッツ収容所は主に以下の1〜3号からなっていましたが


・アウシュビッツ1号・本収容所
(オシフィエンチム駅から徒歩20分ほどの場所。最初に造られた)

・アウシュビッツ2号・ビルケナウ
(1号から3キロ離れたところにある最大規模の収容所)

・アウシュビッツ3号・モノビツエ
(1号から6キロ離れたところにあった


その中で1号と2号が保護されて、現在の博物館となっています。


バスで行く人が多いようですが


僕はクラクフから列車と徒歩で行きました。

(列車はクラクフーオシフィエンチム駅。片道1時間40分・約300円)


値段もさほど変わりません。

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(オシフィエンチム駅)

駅から施設まではゆっくり歩いて20分。


道のりは簡単です。



博物館自体は1号本収容所も2号ビルケナウも入場無料。
(1号と2号は3キロ離れていますが往復無料バスが15分に1本でてます)


ただ、僕のように個人で行く場合


本収容所はツアーのみの時間帯があるので注意が必要です。
(少なくとも午後2〜3時はそうでした)





本収容所入り口の周辺にはたくさんの学生がいました。


日本でいう社会科見学でしょうか。


年々来場者数は増えているみたいですし


関心度の高さを感じます。

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施設前は


公園のようになっていて、当時の面影は見当たりません。


わずか70年ほど前に


この本収容所と、ここから3キロのビルケナウ収容所の周囲


40キロが"付属地帯"として外部から一切隔離され、


1940年の建設から45年のソ連軍による解放までの


5年余の期間に100万人以上の命が奪われたなんて。。。
(推計は150万人とも言われているけど、不明らしい)


主に犠牲となったのはユダヤ人ですが



収容者はヨーロッパのいたるところから連れてこられたそうです。


【資料による犠牲者の推定】

ユダヤ人                100万人

ポーランド人              7万数千人

ジプシー(ヨーロッパにいる移動型民族) 2万1千人

ソ連軍捕虜               1万4千人

その他                 1万数千人

計                   110万人




そうして連れてこられた人たちがまず目にしたのが


博物館に入ってすぐの


有名な看板「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)


この下をくぐるとき、何を思ったのでしょう。

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周りは隅々まで有刺鉄線で囲われていました。


高さ4メートルほどの鉄線は2重に張り巡らされ


触れると感電死するほど高圧の電流が流れていたといいます



自ら触れて自殺する収容者もいたとか。


自由など、ほど遠い。

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もともとこの収容所建設の直接的理由は、


ドイツ警察による大規模なポーランド人逮捕によって




刑務所が囚人で溢れていたこと。


アウシュビッツを建てる以前、


1933年から"強制収容所”は建設されていたと
いいます。


そこにはナチス政権に反対した人や刑事犯、ユダヤ人が



「必要ではない」とされて収容され強制労働を強いられてました。


アウシュビッツも建設当初は、


他の収容所と同様の機能がメーンでした。


最初の収容者は犯罪者やポーランドの政治犯(ユダヤ人は数人)で


チクロンBと呼ばれる毒ガスを使った大量虐殺の最初の犠牲者も


ソ連軍捕虜とポーランド人。



そこから徐々にユダヤ人を絶滅させる施設に変わっていったそうです。


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この背景にはナチス・ヒトラーの人種主義、反ユダヤ主義にあります。


ヒトラーは人種的に純粋な社会を築こうとし、


容姿堪能で知能が高く、運動神経が良いアーリア人こそが優越民族で、
(アーリア人は、インドからヨーロッパにかけての人々)

正当なドイツ国民であり、


ユダヤ人は劣等種族だから排斥するーと主張しました。


第一次世界大戦での敗戦や不況の原因をすべてユダヤ人のせいに


する目的があったとの見解もあるようです。




こうした中、


1942年、ユダヤ人の本格的な大量虐殺がはじまりました。


ヒトラーが幹部を集めて開いた会議で


「ユダヤ人問題の最終解決」として"絶滅"を決めたのです。
(これ以前もアウシュビッツ以外の収容所もあわせて多くのユダヤ人が殺害されている)


そのほとんどが


同年3月に稼働した最大収容所アウシュビッツ2号・ビルケナウ


をはじめとする「絶滅収容所」で実施されたといいます。


絶滅収容所は、はじめから大量虐殺を目的とした施設で


ドイツ領のポーランド国内に計6カ所あったそうです。


最も多い犠牲者を出したのがビルケナウでした。


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(ビルケナウ収容所。本当に広大な面積)


窓のない家畜用の貨車にぎゅうぎゅう詰めで連れてこられた


ユダヤ人たちは


収容所に着くなり、医師によって振り分けられました。


労働に適すか、適さないか


75%の人が”適さない”と判断されガス室に直行し毒殺されました。


選別の意味を理解する間もなく、です。



老人、病人、婦人、子どもには生き残る権利がありませんでした。


囚人として登録も番号もつけられず。


ユダヤ人である、ただそれだけで。

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(収容者はこの移送列車でここまで運ばれた)

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(アウシュビッツに到着したこどもたち。ドイツ軍のカメラマンが撮ったといいます。信じられない)


到着直後の処分を免れた人たちは番号を与えられ登録されました。


囚人服にはマークがつけられ


「ユダヤ人」「犯罪者」「移民」などと区別されていたといいます。


階級をつけて優劣をはっきりさせることで、まとまって反抗させないように。


ドイツ人が頂点、ユダヤ人が底辺。


そして劣悪な環境の下、毎日過酷な肉体労働を強いられたのです。


だから生活の中で病気や過労で、息絶える人も多かった。


仕事の中には、ガスや病気で命を奪われた遺体を焼却炉で燃やす役割も


あったといいます。


その人たちは比較的待遇が良かったらしいのですが


口封じのため、定期的に殺害されたそうです。



担当者の心境は想像するに余りあります。



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(ビルケナウにあるバラック。収容者が住んでいた。木の板があるだけの3段ベット)


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博物館の中には


犠牲者の遺品も展示されていました。


メガネ、義足、旅行バッグ。。


無造作に置かれている遺品は


使用感が、当時の生活感が見て取れて


胸が押しつぶされる思いでした。


中でも、小さな子どもの靴の山は


思わず目をそむけたくなるほど。


隣にいた外国人女性は声を詰まらせ泣いてました。


それほどの雰囲気がそこにあったんです。



画像は検索すれば出てくるかと思います。


見たい方は調べてみてください。



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(「死の門」と呼ばれたビルケナウへの入り口)

事前に少し調べただけでは


分からないことばかりでしたが、本当に行ってよかった。


施設内で痛切に感じたのは


"人間が持つ恐ろしさ"


戦時中、特殊な環境・システムの下ではありましたが


人は簡単に人間を殺める可能性がある。


飾ってあった写真の中には


施設内で楽しそうに微笑むナチス兵の姿がありました。




そして


遠い過去の話ではなく


"いつ起こっても不思議じゃない"っていうこと。


わずか70年前の出来事です。


ドイツ人はもともと勤勉で真面目。


ナチス・ドイツが政権を握る前には


民主主義憲法
の先駆けであるワイマール憲法も制定しています。


それでもナチスは生まれた。


合法的な選挙によって。




悲劇を生み出すのも、それを抑止することができるのも人間。


だからこそ


歴史を繰り返さないために


この出来事を学び、語り継いでいかなければならないと思います。



ふと


数年前に亡くなった祖父のことを思い出しました。


普段無口なのに


酒を飲むたび、せきを切ったように自身が経験した戦争の話をしていた。


次は僕の番です。


DSC_3651


最後まで読んでいただき

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